大事なデータ復旧の準備

何時でも細目にしておきたいのは、データ復旧の準備としての、バックアップですね。この準備はとても大事な事で、パソコンを使っていくのなら、必須の作業ですね。バックアップがあればデータ復旧は簡単ですが、しかしその一方でバックアップがないと、何も出来ません。天と地ほどの差が生まれますので、バックアップはとても大事です。
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 【ロンドン時事】15日午前のロンドン外国為替市場の円相場は、東日本大震災を背景にリスク回避姿勢が広がる中、1ドル=81円台前半に上昇した。正午現在は81円20〜30銭と、前日午後4時比40銭の円高・ドル安。 

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 【ロンドン時事】15日のロンドン外国為替市場の円相場は、東日本大震災を背景にリスク回避姿勢が広がる中、一時1ドル=80円台後半に上昇した。午後0時27分現在は81円00〜10銭と、前日午後4時比60銭の円高・ドル安。80円台での取引は、80円60銭まで円高が進んだ東京時間14日早朝以来。
 15日のロンドン市場では、81円台半ば近辺で始まった後、小動きが続いていたが、米国勢が本格的に参入する午後に入って円買い・ドル売りが強まった。80円台では、日本の通貨当局による市場介入への警戒感が強いとみられる。 

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 【ブリュッセル時事】欧州連合(EU)は15日、福島第1原発の事故を受け、EU域内の原発の危機管理や安全対策に問題がないか特別会合を開いて協議した。域内の原発を対象とする緊急安全確認の実施についても検討した。
 会合にはエネルギー担当相を含む各国高官や原子力安全当局者、電力会社幹部ら約110人が出席。福島原発は大地震後、原子炉を冷却する機能に支障が出て爆発につながったとみられることから、EU域内の原発の地震対策や冷却装置向け緊急電力供給システムの整備状況を確認した。 

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【仙台15日聯合ニュース】「津波がどれほど恐ろしいか、経験したことがない人には分かりません。妻を助けようと抱きしめたけれど、もう…」――。
 日本観測史上最大の地震と津波のなか、日本人の妻を失った韓国人被災者、金日光(キム・イルグァン)さんが、地震発生から4日が経過した15日、聯合ニュース記者に自身の体験を語った。金さんは、多くの住民が津波の犠牲となった宮城県仙台市蒲生地区に住んでいた。
 1975年生まれの金さんは、1998年に仙台で先輩の仕事を手伝うため、京畿道・楊州の家を離れ渡日した。7年前に職場で出会った日本人女性と結婚。小学校1年生の娘と、1歳になる男女の双子、3人の子どもをもうけ、昨年は蒲生地区にマイホームを構え、幸せな家庭を築いた。

 金さんの自宅は、海辺から1キロメートルほど離れた地点。地震発生の11日は、子どもたちを海側から遠く離れたところにある幼稚園に預けた金さんは、午後4時から仕事に出る準備をしていた。午後2時46分ごろ最初の地震が起きたとき、家から5分ほどの場所にある工場に働きに出ている妻をまず心配した。
 直後に工場に駆けつけたが、工場長の指示でほかの従業員らと避難していた妻と合流することはできなかった。この時までは、「日本は地震に慣れているから大丈夫だろう」と考えていた金さんだが、しばらくして急ぎ帰宅してきた妻を迎えに出たとき、おかしな感じがしたという。
 「突然、ザーッという音が聞こえ、遠くから何かが押し寄せてくるのが見えました。次の瞬間、妻の手を取り近くの小学校(3階建て)に向かって走りました」。
 津波に追いつかれたのは、学校の階段に到着する直前、体育館付近を走っていたときだった。とっさに妻を抱きしめたが、離れ離れになってしまった。金さんは気がついたときには水の中にいて、重くなっていくダウンジャケットと長靴を脱ぎ、ようやく水面に顔を出すことができた。7〜8メートルの高さの水面上に、再び押し寄せる波が見えた。
 金さんは、体育館のバスケットボールのゴールポストにつかまり、数時間、そこで耐えた。体育館を出て学校に避難したが、妻の姿を見つけることはできなかった。住んでいた町に残っていた建物は、小学校だけだったという。

 子どもたちは地震の翌日、9時間かけ訪ねて来た妻の両親が、岩手県久慈市に避難させてくれた。電話が繋がらず、感謝の言葉を伝えることもできなかった。金さんは自衛隊病院で治療を受けた後、仙台総領事館に身を寄せた。
 顔と手に傷が残る金さんは、妻とのつらい別れにも「それでも手を取り合って最後の瞬間をともにできたから…」と気丈に語った。頭の中は、子どもたちとこれからどう生きていくかでいっぱいだという。「自分が生かされたことには、何が意味があるのだと考え、子どもたちのためにも元気を出して生きていきます」と話した金さんの両の目からは、涙が流れていた。
mazi38@yna.co.kr

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