赤ら顔を治すために必要なこと
ラジオやテレビでよく聞くものに「赤ら顔」がありますが、これは温度が上がった時や緊張したとき、また興奮しているときに、顔の頬や耳が赤くなることです。赤くなる場所は人によってさまざまですが、原因を分かりやすく言えば、「のぼせている状態が続いていること」だと言えます。赤ら顔を治すには、肌をきれいな状態に保ち、うるおいを保つことが第一です。皮膚を傷つけてはいけません。また、ストレスも原因の一つですから、ストレスもため過ぎないように注意が必要です。
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世界文化遺産の暫定リスト入りが決まった大阪府東南部の「古市古墳群」内の安閑天皇陵(羽曳野市)近くで、これまで全く知られていなかった6世紀中ごろとみられる前方後円墳が見つかっていたことが22日、分かった。安閑天皇の妃(きさき)ら有力者が埋葬された可能性もあるが、古墳の発見段階では横穴式石室も残されていたが、前方後円墳と分かる前に石室が住宅開発で取り壊されてしまい、専門家からは「貴重な資料なのに保存されず残念」との声も出ている。
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発掘は、羽曳野市教育委員会が平成20年度から実施し、地下約30センチのところで石材が積み重なっているのを確認、横穴式石室と分かった。被葬者の遺体を納めたとみられる主室は縦4.2メートル、横1.6メートルで、2人分が入る大きさだった。
出土土器によって6世紀中ごろの築造と推定され、地元の旧地名から「城不動坂(しろふどうざか)古墳」と命名。墳丘を囲む周濠(しゅうごう、幅約2メートル)も見つかり、全長約36メートルの前方後円墳と判明した。盾を持つ人物をかたどった埴輪(はにわ)の顔面部分も出土している。
見つかった石室は、天井石の一部も含めて築造当時の2分の1ほどが良好な状態で残っていた。市教委は、開発業者と保存について協議したが、コスト面の問題などで保存を断念。結局、宅地造成の際に、周囲の土砂などと一緒に撤去されたという。世界に誇れる風俗バイト検索
被葬者については、日本書紀に安閑天皇の皇后、春日山田皇女(かすがやまだのひめみこ)や安閑天皇の異母妹、神前(かむさきの)皇女を、安閑天皇の陵に併せて葬ったと記述。宮内庁では、神前皇女は安閑天皇陵に合葬されているとする一方で、春日山田皇女の墓として安閑天皇陵の南にある高屋八幡山古墳を指定している。
城不動坂古墳は安閑天皇陵の北東約50メートルに位置し、墳丘も同じ向きに築造されていたことから、市教委社会教育課の井原稔さんは「高屋八幡山古墳は安閑天皇陵より築造時期が古い」と指摘した上で、「合葬といっても、同じ墓に葬るとは限らない。2人分が入る石室の大きさも考えると、城不動坂古墳は春日山田皇女と神前皇女の墓の可能性もある」と推測する。
一方、府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「日本書紀の合葬の記述などから、天皇と皇后が別の墓に葬られたとは考えにくく、安閑天皇に仕えるなどした人物の墓ではないか」と指摘。石室が保存されなかった点については「前方後円墳と分かったのが石室を取り除いた後だったとの事情は理解できるが、全く存在が知られていなかった古墳だけに大きな発見であり、(石室が失われたのは)非常に残念」と話した。
【安閑天皇】 第27代天皇で、在位は531〜535年。仁賢天皇の娘、春日山田皇女と結婚した。勾金橋宮(まがりのかなはしのみや、奈良県橿原市)に遷宮。地方支配の拠点である屯倉(みやけ)を数多く置いた。
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◇職員の作業実る−−市教委
桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった大量の動植物の骨や種。市教委が大型建物跡(3世紀前半)近くの穴「土坑」から持ち帰った土に混じっていたものだ。この土を昨年9月から4カ月かけて詳細に調べ上げたことが、王の支配地域の広さを示す貴重な成果につながった。【高島博之】
猛暑が続いた昨年8月。市教委の橋本輝彦係長らは、土坑の下から絶え間なく湧き出す地下水をポンプでくみ出しながら、小さなシャベルで丁寧に土をすくい上げ、遺物が混じってないか確認して土のうに詰める作業を続けていた。
昨年9月、土坑から祭祀(さいし)に使ったとみられる大量のモモの種が見つかり、橋本さんは他にも供物があるかもしれないと考えた。土のうは約400袋に上り、職員8人がふるいを使って泥を選別したところ、大量の動物の骨や植物の種子が見つかった。橋本さんは「纒向遺跡の中心的な場所で行われた祭祀の様相が具体的に描けるようになった。思った以上の成果だ」と喜んだ。
詳細な分析には、金原正明・奈良教育大教授(考古学)と宮路淳子・奈良女子大准教授(同)が当たった。見つかった骨の約8割が魚で、そのうち約7割は海の魚。宮路准教授は「県内では弥生時代の唐古・鍵遺跡(田原本町)や縄文時代の橿原遺跡(橿原市)でも海の魚の骨は見つかっているが、今回の多さには驚いた」と話す。
また、加工された木材ではヒノキが最も多く、金原教授は「ヒノキは加工が難しく、鉄器が普及していない弥生時代は利用されていない。纒向では鉄器を利用できる状況にあったのでは」と指摘する。
1月22日朝刊
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